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東京地方裁判所 昭和63年(刑わ)3138号 判決

主文

被告人を懲役一年二月に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  昭和六三年一一月四日午後四時ころ、東京都中野区〈住所省略〉○○一〇三号室A方ベランダの物干し場において、B所有のパンティー五枚及びブラジャー一枚(時価合計一五〇〇円相当)を窃取し、

第二  前記日時ころ、前記○○敷地内において、前記A(当時一九歳)に対し、同人の顔面に頭突きを一回加える暴行を加え、よって、同人に全治まで約一週間を要する左前額部打撲の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の判示第二の頭突き行為は、Aが現行犯人逮捕のため必要とされる限度を超え、腰部を痛めている被告人の大腿部を複数回にわたり蹴り付けるなどの暴行を加えたので、これから逃れるために行なったもので、急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛するため止むを得ずに出た行為であるから正当防衛が成立し、判示第二の罪について被告人は無罪である旨主張する。そこで、この点につき検討すると、証人Aの当公判廷における供述等前掲関係各証拠によると、以下の事実が認められる。

すなわち、Aは、本件当日、判示○○敷地内で、判示第一の窃取にかかる下着を手に持ち逃走しようとする被告人を発見し、これを逮捕するため○○一〇三号室前付近で被告人が着ていたジャンパーの襟元付近を掴み、近くのブロック塀に被告人を押しつけ、あるいはジャンパーを掴んだまま被告人を振り回すなどし、さらにこれを振り解き逃走した被告人を追跡し、一〇メートルほど離れた一〇一号室前付近において再度捕まえ、その間に、被告人の大腿部を数回蹴るなどしたこと、被告人は、その間、被告人の着衣等を掴んだAの手を振り解こうとし、あるいはAに「警察だけは勘弁してくれ」などと言っていたこと、Aは、最初に被告人を捕まえた際、玄関から出て来た判示第一の被害者Bに、警察に連絡するよう指示し、前記のとおりAが逃走した被告人を再度捕まえ、これを蹴るなどしたのち戻ってきた右Bから警察に電話してきた旨告げられ、同女の方に顔を向けた瞬間に被告人から、判示第二記載のとおり顔面に頭突き加えられたこと、被告人は、右頭突きでAがひるんで被告人から手を離すと、その直後、○○の敷地内から出て逃走したこと、その入口から一〇メートルほど離れた交差点付近で、Aが一〇一号室の住人の協力を得て被告人を逮捕したこと、被告人の身長体重は約一七五センチメートル、七三キログラム、Aのそれは約一六八センチメートル、五三キログラムであったことをそれぞれ認めることができる。

被告人は、これに対し、当公判廷において、Aに捕まった当初から示談の話が出ていたので逃げようとはしていないし、Bが警察に電話したと言ったのは最終的に捕まった後で、被告人がAに頭突きをしたのは警察に突き出されるのが嫌だったからではなく、Aの攻撃から逃れるためであった旨供述しているが、当初Aが被告人を捕まえた位置から被告人が頭突きをした位置、そして最終的に逮捕された位置の関係が、○○の敷地奥から入口近くそして敷地外へと移動しており、それぞれ約一〇メートル前後離れていることからすれば、被告人が言うように単にAが振り回して移動したとか、ジャンパーが脱げた弾みで飛び出したとは考え難いし、またAが示談のことを口にして「一〇〇万、二〇〇万じゃ済まないぞ」と言ったのを本気とは思わなかった旨述べながら、示談で済ませるつもりであったから逃げようとは思わなかったとするのも不自然とするほかなく、被告人の右供述は到底信用し難い。

そこで、前記認定の事実を前提に検討すると、Aが被告人のジャンパーの襟元付近などを掴んでこれを振り回し、あるいは被告人の大腿部を数回蹴ったことは認められるが、その間被告人が終始Aの手を振り解き逃走しようとしていたことや、被告人との体格等の差を考えれば、私人たるAが被告人を現行犯逮捕する際、この程度の有形力を行使することは、逮捕に伴うものとして許容される限度内と言うべきであって、これを違法とすることはできない。また、被告人の頭突き行為は、BがAに警察への通報を報告した直後であって、これに被告人が終始逃走を企てていたことを併せ考えれば、被告人は、自らの身体を防衛するためというよりも、むしろ逮捕を免れるため判示頭突き行為に及んだと認めるべきである。

以上のとおり、被告人の判示第二の所為に際しては、不正な侵害もなく、防衛の意思も認められないのであるから、これを正当防衛とする弁護人の主張には理由がない。

(累犯前科)

被告人は、昭和五九年一二月三日川越簡易裁判所で窃盗罪により懲役五月に処せられ、同六〇年六月八日、右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は右裁判の判決書謄本及び検察事務官作成の前科調書によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二三五条に、判示第二の所為は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、判示第二の所為につき所定刑中懲役刑を選択し、被告人には前記の前科があるので刑法五六条一項、五七条によりいずれも再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年二月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人にこれを負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が女性の下着を窃取したところをその女性の内縁の夫に見咎められ、逮捕されそうになるや同人に頭突きを加え傷害を負わせたという窃盗、傷害事犯であるが、その経緯、態様は、事後強盗致傷ともいいうるほど悪質なものである。被告人は本件同様の下着窃盗である前記累犯前科のほか、覗き目的の住居侵入による罰金前科もあり、また、昭和六三年九月にはやはり頭突きによる傷害で罰金刑に処せられているにもかかわらず、二か月足らずで本件に及んでいるものであって、規範意識に欠けること著しい。他方、窃盗の賍品は所有者に戻り、実質的被害が回復されていること、被害者の受傷の程度もさほど重いものではないこと、被告人の雇主の尽力で傷害の被害者との間で示談が成立し、同人も被告人を宥恕していること、被告人の雇主及び知人が、被告人が社会に復帰する際には被告人を雇用し、その監督をする意向であること、被告人も、当公判廷において、本件につき一応反省の態度を示し、更生を誓っていること等被告人のため酌むべき事情もあるので、これらを総合考慮し、主文の刑を相当と判断する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官村上光鵄)

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